しゃなりの箱庭。

アニソンアーティストの南 咲希が芸能活動・音楽・ひとり暮らし・貯蓄・断捨離など経験をもとに書いていくブログです。

夢を追うということ、叶えるということ。

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長らくわたしは、他人の夢を追いかけていた。

 

あんな風になりたい

わたしにもきっと出来る

楽しい人生になりそうだ

 

それは決して、自分で作り出した姿ではなかった。

 

知ってからもう13年にもなる、憧れのアーティストと似たような夢を掲げていた。

そうすることで「自分には夢があって生き生きしている!」と錯覚できた。

 

わくわくして楽しい・実現させたい。

誰が見ていなくても自然と行動に移すのが、夢の持つ力であったはずだ。

 

本来、夢というのは内側から湧き出るものだ。

 

追いかけるほど遠のいていく夢

夢がなかった。

何か見つけなければ、と焦った。

 

出来そうなもの、好きそうなもの、憧れるものからインスパイアさせて夢を作ろう…

 

こんなことをして、倒錯的な夢を描いた。

 

だから声優を目指した。

音楽を生業にしようとした。

 

地位と名誉を欲し、大したものを持っていない自分を否定する日々だった。

 

目に見える賞賛を手に入れ、明確な数字を集めた。

その最たるものが、フォロワーやいいね!の数である。

 

しかし、おかしい。

追いかけても追いかけても、ちっとも満足できない。

 

求めていた数字が手に入っても、喜びは一瞬にして散っていった。

 

どれだけ手に入れれば気が済むのか?

答えが出ないまま、ひたすら音楽を続けていた。

 

この時わたしは、ずっと苦しかった。

 

好きなことをしているはずなのに、なぜいつまでも苦しいのか。

 

「年を取って、場末の酒場でも歌っていくつもり?」

悪意はない、純粋に不思議がっての疑問を投げかけられたりもした。

 

わたしが見出している「歌への位置付け」はどこなんだろう。

 

他人と同じ夢を見ているので、場末の酒場ではダメだった。

描かれたのは、たくさんのお客さんで溢れかえる華々しいステージだった。

 

他人の夢を見る人の多さ

彼女に憧れ、同じになりたかった。

好きなものを極めるとコピーになりやすい。

 

二番煎じが売れないことは、経験上からもわかっていた。

 

彼女の音楽は喜んで買うが、似ているだけの人の商品はすぐに飽きる。

そこにオリジナリティがないからだ。

 

夢を持ったら、自分で道を切り拓かなければならない。

 

彼女が売れたのは、誰よりも早く、演歌の歌い方とアニソンを融合させたからだ。

唯一無二のオリジナリティがあり、幼い頃から鍛え上げた圧倒的な歌唱力でファンを増やした。

 

原点に立ち返ると、わたしの歌にはオリジナル要素がない。

彼女のコピーに始まり、そこから抜け出せていない。

 

コピーして学ぶのは悪いことではないし、技術を向上させる手段としては良好だ。

しかし、その先がない。

 

コピーはスキルアップ法の一つであり、自分らしさを作り出してはいない。

届けるも何もあったものではない。

 

「わたしの歌を届けたいんです!」と息巻く素人たちに冷めてしまうのは、コピーの先が見えないからだ。

 

真似しただけの歌。

コピーですらなく、聴くに耐えないこともある。

 

「届けたい」と願うなら、お金を払って聴きに来てくれた人をガッカリさせてはならない。

 

好きで歌っているだけ、例えばお風呂とかカラオケとか、そういった趣味の範疇であれば、どんな状態であろうと本人の自由である。

 

セルフブランディングの成功例

プロを目指し商品化する場合は、そうはいかない。

金銭が発生するからには、顧客を最低限は満足させる必要がある。

 

この人だから聴きたい。

代わりがいない。

飽きない。

 

わたしを虜にしたあのアーティストに飽きたことは、かつて一度もない。

これからも一生飽きないだろう。

 

彼女が歌うのであれば、どんな曲調の作品でも手に取る。

 

ただ、彼女の存在があれば何でもいい、ということではない。

声優としての演技・舞台上でのパフォーマンスには、全くといって差し支えないほど興味がない。

 

彼女のナレーションを耳にして「さすがにうまい、聞きやすいな」と感心はしても、わざわざ時間を割いて声の活動を追いかけに行くことはしない。


声優・歌手・舞台女優

 

どの部分に惹かれて応援するかはファン次第であるが、全てがオリジナルであり、なおかつどれか一つでもハマれば、セルフブランディングに成功したと言える。

 

誰のための夢なのか

夢を追う、というのは、いかに自己を満足させられるかだ。

 

プロとして叶えることがある状態は、夢というより仕事である。

食べていくという目的があり、その過程として達成すべき目標を立てる。

 

お金にするなら一定数に受け入れられる必要がある。

そこで境界線となるのがオリジナリティである。

 

ならば、オリジナリティはどうやって見つけるのか。

 

好きなことであれば本来、ここを追求するのが楽しい。

人気者になることが第一条件である場合、理想と現実のギャップが「追求することの楽しさ」ではなく「苦しみ」となる。

 

天性の素質があったり、幼少からの恵まれた環境により、わたしたち一般人よりも遥かに簡単に夢を叶える人もいる。

 

こういう人をうらやんでも仕方がない。

考えたところで、生まれる前からやり直せることはないのだ。

 

何より、他者と比較しているうちは、心の底から夢を楽しめることはない。
絶対にない。

 

他者を介入させないとわくわくしない、楽しめないなら、夢とは言えないのだ。

 

自分の夢にする

歌うことに関しては、ライブハウスへの出演を見直した。

好んで田舎に住んでいるので、わざわざ東京まで足を運ばなければ歌えない、ということもない。

 

結構な金額(リハのスタジオ代や交通費など)を払った分だけ得られるものがあるかというと、そんなこともない。

 

カラオケでも動画でもわたしが勝手に歌っていれば良いのであって、自分が楽しめないやり方は全て捨てた。

 

楽しくないものは夢ではない。義務だ。

 

しかし例外はあって、そこに仲間が加わると夢になることもある。

深いところで目的が同じなのである。

 

最優先されるのは本人を含め、仲間も楽しめることであって、もうそれをやること自体が楽しい状態だ。

 

ライブを開催する、というカタチは同じであっても、目的を共有しているだけで随分と印象が異なる。

 

誰かに見せることを目的とはせず、それぞれが楽しむこと。

 

楽しむためにやるのではなく、それを考えるとどうしようもなく心が躍って眠れなくなる。

楽しいからやろうとする。

 

本当の豊かさとは、どれだけ自発的に楽しめるかだ。

 

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知らず知らずにやっていた夢

こうして文章を書いているが、手書きのノートは人に見せたくない。

洗いざらい書き出したのちに推敲し、抜粋して記事に興すことがある。

 

はじめから公開しようと思って書いてはいないので、完成した文章の何倍もの下書きがあるのだ。

 

予定がない日はずっと書くか読むかをしている。

おかげで目が疲れるのだが、趣味なので仕方ない。

 

放っておくと一日中やっているので、一旦机から自分を離すためにスポーツジムへ通っている。

 

公開せずとも、ずっとこうして書いている。

よっぽど好きである。

 

断捨離と称して処分してしまったノートは何十冊とあったので、今考えるともったいなかった。

 

また書けばいい話なので後悔はないが、ときどき興味本位で読み返したい気持ちに駆られる。

 

書いていると、心がとても満たされていく。

何もしていない日はモヤモヤして消化不良に陥るのに、食事も忘れて書いたり読んだり没頭できた日は、この上ないほどスッキリする。

 

やり切った!と自分にマルをあげられるので最高の気分になれる。

 

書くこと・読むことで一日を過ごせたら幸せだと思っていた。

文章を通して自分と向き合っていると、満たされる。

 

手書きで綴っているのでやりすぎると腱鞘炎の一歩手前だし、本も読みすぎると内容が混同してワケがわからなくなる。

 

他人と比べてペースが遅い早いはどうでもよくて、どれだけ熱中して探求できたかだけが大切である。

 

読む時間を確保したい。

思う存分、書く時間を持ちたい。

 

誰一人として理解してくれなくて構わない、わたしの夢だ。

 

他者の介入はいらない

夢は、ささやかなものから大きなものまで多岐に渡る。

学生の頃は気づかなかったけれど、本当の夢に他者からの賞賛はいらない。

 

夢は勝手に持って、勝手にやれるものだ。

他人を巻き込むと夢の軸がブレる。

 

わたしは夢を叶えた。

一日中文章を書く時間を持てている。

 

趣味の夢、仕事の夢

ずっと前から書いていたので、お金にならなくても辞めずに続ける自信がある。

人に見せずとも、書きたいから書く。

 

趣味を夢にすると、割とあっさり叶えられる。

 

プロになることは、夢でありながら仕事的な要素が強い。

夢を仕事にする場合、やりたくないこともする必要が出てくる。

 

趣味に分類される夢なら、完全に自由である。

やりたくないことは一切遮断すれば良い。

 

この夢は趣味と仕事のどちらだろうと考えると、戦略を練りやすい。

 

わたしの夢

何を書きたいのかわからない。

それでもとにかく書きたい。

 

特に優秀なものを書いているわけでもない。

でも、一生やっていたい。

 

書いているうちに納得のいく一文に出会えるかもしれない。

そんな期待が、なんだか楽しくてたまらない。

 

考えたことを頭で熟成させ、アウトプットすることで知恵となって定着する。

応用して生きていける。

 

こんなに楽しいことがあるだろうか、という気持ちである。

ずっと続けられるようにしたい。

 

ブログに固執せず、読んで書いてアウトプットの場所を確保すること。

 

これがわたしの趣味的な夢であり、一生こうして過ごすことを考えると、とても楽しい。

 

アニソンブロガー南 咲希(@minamix_syanari)より。

しゃなりぉー!(・ω・)/

 

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