しゃなりぉ!(・ω・)/
メンヘラシンガーの南 咲希(@minamix_syanari)です。
ブログが書けない。
書くことが好きでブログに手を出したのに、ネタもあるのに書けない。
パソコンに向かうも書けない。本気を出して書き始めたばかりなのに、もう書けなくなるなんて…。
こうして1日中パソコンの前に座っているというのに、何をどう書いていいのかわからないのです。
これが文章と向き合うということか。作家・はあちゅうさんの生活スタイルに心底憧れて、やっと近づいたと思っていた。
文章を扱う者として、詰まってしまうと悩んで机から動けなくなり、何時間考えても1記事も書けなかった…という葛藤を初めて身に沁みてわかった気がします。これはとてもつらい。
それでも好きだから文章を生み出しているんだろうなぁ。
流れるような文章を綴りたい。読者に響く言葉を届けたい。
好き勝手書いてきたわたしがそんな風に思うなんて、数字の力はこわい。
こんなに好きなのにどうして書けないんだろう。ブログへの能力が開花するまでひたすら書き続けるしかない。
自殺に関する記事を書いた時から、少しずつ読者の方が増え始めました。自分の核となる考えを勇気を出して書いたので、共感してくれる人が多いのがとても嬉しかったです。
「どうせ誰も読んでいないから」と好き勝手に書いてきたわたしにしては信じられない感覚です。嬉しい反面、プレッシャーを感じていました。
本当は、どんな些細なことでもネタになるんです。
「今日食べたパフェが美味しかった」「こんなことがあって悲しかった」
どんなことでも記事にできます。そのネタをどう料理するかが分かれ道なだけで。手探りで書いていくうちに上手くなってきて、でもそれまではずっと下手なままかもしれない。
誰にも見てもらえない文章は成長しないのなら、完成度が低くても投稿していこうと決めました。
10年以上歌を好きでいて今でも納得いかないように、文章だってずっと「上手く書けた!」とは思えないのかもしれない。ずっとずっと片想い。
1記事を書くのに丸1日かかることもあります。渾身の1記事だ!と意気込んで毎日更新したって誰も気に留めていないし、なんならFacebookに投稿している【ブログ更新】もウザがられている可能性が高い。
「なんだよ、またこいつブログの宣伝かよ。フォロー外しちゃえ」と、友達のままではあるもののフォローを外して購読しない枠に入れられているかもしれません。
13時を過ぎると焦り始めます。「あぁ、今日もまだ何も生み出せていない」と。
そんな葛藤の中書き上げた記事だって、ともすれば誰の目にも触れていないのです。
Facebookでどんなに宣伝したところで、URL付きの投稿はスルーされてしまいがちです。何を隠そう、わたしもスルーしてしまいます。
書くことに真剣に向き合い、合宿までして勉強してきたからこそ自分以外のブロガーにも興味が湧いて気に留め、チェックするようになりましたが、こういう生活をしていない、いわば一般の人たちに見てもらえるって、かなりすごいことだと思うのです。
この記事も読まれていない。
誰もわたしに興味がない。
今だってアナリティクスでアクセス解析を確認してきたけれど、リアルタイムの読者はやっぱり0だったから間違いない。
▲いっそもう、最近はチェックしなくなりつつあります。
わたしのモチベーションは、田舎フリーランス養成講座で知り合った仲間が送ってくれた「ブログは毎日読みます」のLINEです。
もし実際はまったく読んでいなかったとしても構わなくて、そう言ってくれたのが嬉しかったから、今でもずっと背中を押す言葉として大事に抱えています。
▲もうすでに懐かしい、講座がおこなわれた「まるも」
書くことを続けたい。
わたしが自分で決めて、自分の意思で続けていることです。
だから読者の存在を意識しすぎたり、良い記事を書こう!などど気負わずに、わたしはわたしが良いと感じたことを書いていけば良いのだな、と思ったのです。