正しさが生かされないと痛感したことが、何度もある。
若かりし小学生時代に教わった道徳が、平然と破られている。
ゴミをポイ捨てしないとか深夜に騒がしくしないとか、子どもでも守れるような常識が通じない大人がたくさんいるのだ。
何も考えずに欲望のままに生き、正しく生きている人がバカを見るパターンはこれまでにもあった。
罰せられないから・見られていないからと好き勝手に行動する人はあとを絶たない。
モラルとかマナーとか、道徳とか思いやりとか。
言い方はままあるけれど、人と人とが共存していく上で必要な規律が当然に守られずに迷惑を被ったとき、どのように考えれば気持ちがおさまるのか。
グレーゾーンばかりな世の中と折り合いをつけるために、わたしが考え抜いた答えを書いていこうと思う。
スポンサーリンク
世の中は正義でできていない
タバコのポイ捨てはいけないことだ。
これは誰しもが知るべき事実であり、正義である。
しかし子育てにおいてはどうだろう。
お金持ちが正義であり、裕福な家庭の子どもは必ずしあわせになっているのか?
答えはNOだ。
残念ながら、富裕層の子どもが100%しあわせなわけではない。
絵に描いたような貧乏でも、心があたたかい家庭で育てられてしあわせな子は絶対にいる。
お金持ちだから正義、貧乏だから悪だとは決められない。
このように、何をもってして正義と言えるかどうかは人の数だけ価値観が異なる。
道徳的に考えれば正義に反していても、どんなに許せなくてもまかり通ってしまう理不尽さが、世の中にはつきまとう。
上司の罵詈雑言が許されてしまうワンマンな会社もあるし、精神的に追い込むまでいじめ倒す先輩が正しい教育者として認識されている職場もある。
人として言ってはいけないことをためらいなくバンバン浴びせてくる人もいて、人を傷つけたなどどは微塵も考えず、彼らは平気で生活している。
他人のマナーが悪すぎて辟易したことも一度や二度ではないし、悪を悪とも思わない人が確実に存在していて、それでも許されている。
真面目に生きている人の方がバカを見るのが世の中だな、と思うことが、今までに数えきれないほどあった。
世の中は正義でできていない。
そのことを知っておくだけでも諦めに似た気持ちというか、受け入れはしないけれど受け止めることはできるというか、柔軟に納得させるスキルが手に入る。
非常識を語るのは常識をわきまえてから
わたしが絶対にやらないように気をつけていることがある。
常識を持たないまま、非常識を推進する行為だ。
ここ最近で圧倒的に、常識に縛られるな・常識なんてくだらないといった発言が支持されるようになった。
しかしわたしは言いたい。
非常識を語れるのは、常識をしっかり学んでいかせる人に限る。
閑静な住宅街で真夜中に騒ぎまくるアホたちに「常識なんてくだらない」と言える資格はない。
夜勤明けで相当疲れて寝たいとき、近くでやかましく騒がれたらどう思うか。
複数人で手を叩きながら大爆笑し、何度もクラクション鳴らしながら睡眠を妨害されたら正気でいられるか。
騒音の原因が友だちではないまったくの他人で、仮眠をとって仕事に向かわなければならない場合でも、穏やかな気持ちでいられるか。
こういった配慮をすれば、夜中に住宅街で騒ぐのは恥ずかしい行為だと認識できる。
これが常識だ。
これができて、はじめて「非常識」を語る資格が生まれる。
常識を身につけなままに非常識を推すのはバカ者がする正当化であり、学びから逃げているだけに過ぎない。
常識に乏しい者が非常識を豪語しても、相手にされないのは当たり前だ。
常識を崩すのは常識をきちんと知っている者にのみ許された高等技術なのである。
真面目な人の方が大変だけど、私はそっちの方が好きだ
知らないままに生き抜くのは大変で損をするから、これだけはぜひとも伝えておきたい。
あなたが楽しいと思うことが、何よりの正義だ。
もちろん、他人に迷惑をかけるのは正義ではない前提での結論である。
常識をわきまえた人の非常識な提案を聞くのはおもしろいし、新たな考え方に触れるのは自己の成長につながって生きやすくなる。
世の中はグレーゾーンだらけだ。
真面目に生き、正義だけが正解だと固執すると息苦しくなってしまう。
「いま感じているこの理不尽は世の中のグレーゾーンなんだ」と受け止めると、少しはラクになれる気がしている。
この記事を読んで、少しでも役に立ててもらえたら嬉しいです!
読んでくれてありがとう。
しゃなりぉー!(・ω・)/
コラムニスト:アニソンブロガー南 咲希