しゃなりぉ!(・ω・)/
アニソンアーティストの南 咲希(@minamix_syanari)です。
あなたの周りには、やたらと褒めて欲しがったり自慢が多い人はいませんか?
「俺は有名な◯◯さんと繋がっている」
「私だけ◯◯ですごい。他の人はみんなここまで出来ない」
このようなことを口にしていたり、ツイートされている文章を見かけることがあります。
繋がっている他人でなくあなた自身の話が聞きたいと思うし、わざわざタイムラインに投稿してしまうなんて、きっと承認欲求が強いんだろうな…と思ってしまいます。
彼らは無意識の自慢が多かったり、人知れず空気が読めない傾向にあります。
赤ちゃんの頃から全員が持っている承認欲求。
野放しにしたままだと周囲から倦厭されるだけでなく、自分の人生がわからなくなることがあります。
今回は、無自覚ではこわい承認欲求について分析してみました。
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本音と承認欲求の違い
承認欲求の根底にあるのは、自分を認めてほしい!という感情です。
しばしば「好き」の感情と混同されることがあります。
わたしは音楽が好きなので、音楽を例にお話ししていきます。
承認欲求の好きとは
かつて音楽をやっていて「メジャーへ行けないから辞めた」と言う人がいます。
これは本音でやりたい本能的な欲求ではなくて、インディーズで少数しか聴いてくれないならつまらないという、多くの人に自分を認めてほしい欲求です。
認めてもらえれば手段はなんでもいい。
知名度が上がればいい、という考えに近いです。
もともとは音楽が好きで、好きなことで食べていきたいから始めた人がほとんど。
活動を続けていくうちに、本能での「好き」よりも「多くの人に認めてほしい」という欲求が上回ってしまいがちです。
誰にも認めてもらえなければ無意味だ、やめよう。
と思うなら、それは自分を見てもらいたい!という感情が幅を利かせている証拠。
承認欲求とは、満たしても満たしてもすぐに空になる底なしの沼のよう。
得た幸せがすぐにこぼれ落ちてしまいます。
この欲求は満たしては減り、また欲して…を延々と繰り返すのでキリがないのです。
本能での好きとは
歌いたいから歌っている人は、メジャーへ行かなくても勝手に続けてしまいます。
カラオケで歌う人もいればライブハウスで活動する人もいて、その幅は人それぞれ。
目標を目指す過程でつらい思いをしながらも頑張っていると、いくら好きでも辞めたくなることは出てくるでしょう。
辞めたくなったことがあるなら本気で好きとは言えないなんて、それは思い込みです。
問題はそこではなくて、辞めたくなってもまた歌を始めてしまうかというところ。
本能で好きなら、少し休んでも絶対にまた歌いたくなります。
誰も認めてくれなくても批判だらけでも、好きで好きで仕方ないなら勝手に始めてしまうし、続けてしまう。
メジャーの夢は持っていいし、捨てる必要はありません。
しかし、好きな気持ちよりも認めてほしい感情に動かされていたら、いつまで経っても本当の満足感は得られないままです。
認めてほしい気持ちのこじらせパターン
「私は◯◯(←魅力的な何か)と繋がりがあります。」
時々、こういったDMが届くことがあります。
個人的には「だから何?」
あなた自身には何の魅力があるんですか?と返したい気持ちを抑えて黙殺しています。笑
完全にこじらせているし、ひどい場合にはこちらを利用しようとしていることもあります。
自分自身には凄いところが何もないが(←無自覚)認められたい!
もしくは
有名な人をちらつかせれば騙せそうだからカマかけてみよう
そんなときに使われる言い回しです。
人を見る目を養うトレーニングにもなるので、
この人はどんな意図でわたしと繋がろうとしているのかな?
と一拍置いて考えてみてください。
認めてほしい気持ちには終わりがない
とはいえ人は褒められると嬉しいものだし、承認欲求は多かれ少なかれ誰しもが必ず持っています。
悪いものではないし、活力として努力に繋げるのはとても良いことです。
何かに落ち込んだり絶望してしまったときは、こう問いかけてみてください。
「今やっていることは、誰も見向きもしなくてもやりたいこと?」
自分一人でも続けてしまうものなら好きな気持ちを大切に、どうか続けてみてください。
もし誰かに認めてもらいたい!と思っても、それを否定する必要はありません。
「これは承認欲求だ。自分は今、誰かに認めてほしいんだな」
と自己分析して、本能の欲求を認めてあげることが大事。
こうして認めてあげると、行き場をなくして暴れていた欲求が落ち着いてきます。
承認欲求に囚われなくなると穏やかな気持ちで過ごすことができます。